商品説明 名称
【ふるさと納税】
北上平和記念展示館 維持管理支援 ブロンズコース 内容量 ・感謝状 ・パンフレット ・小冊子「若き農民兵士の声」 商品説明 〈北上平和記念展示館〉への保存協力協賛金になります。
北上平和記念展示館の保存協力への謝意を表す感謝状、パンフレット、小冊子「若き農民兵士の声」となります。
事業者 藤根自治振興会 北上平和記念展示館 〒024-0334 岩手県北上市和賀町藤根14地割147−3 ・ふるさと納税よくある質問はこちら ・寄付申込みのキャンセル、返礼品の変更・返品はできません。
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・この商品はふるさと納税の返礼品です。
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【ふるさと納税】
北上平和記念展示館 維持管理支援 ブロンズコース 戦争を体験した人たちの、真実の記憶を後世に伝える返礼品です 〈北上平和記念展示館〉への保存協力支援になります 北上平和記念展示館の保存協力への謝意を表す感謝状、パンフレット、小冊子「若き農民兵士の声」となります。
特典番号:C0143
【発送元】
藤根自治振興会 北上平和記念展示館 貴重な資料を後世に・・7000通に込められた想い 北上市藤根地区交流センターに隣接する北上平和祈念展示館には、戦地からの手紙(軍事郵便)が7000通も保存されています。
これらの手紙は、高橋峯次郎さんという藤根地区で明治39年から約40年間、教師をしていた人宛ての手紙です。
峯次郎先生は出征した教え子を激励するために、明治41年から昭和19年まで、故郷の近況を伝える会報「眞友」を平均月4回、戦地に送り続けていました。
ここにある約7000通の軍事郵便は、教え子ら約900人が「眞友」への返事として先生宛に書き送ってきたもので、望郷の思いや厳しい戦況、特攻を待つ気持ちなどが綴られています。
その手紙を多くの人に見てもらおうと、地元の人たちが維持管理しています。
1981(昭和56)年、岩手・和我のペン(故代表菊池敬一氏)が軍事郵便の調査活動を始め、NHKで1982(昭和57)年にこの調査活動を特別番組として放送したことにより、軍事郵便は世に知られるようになりました。
1996(平成8)年には国立歴史民俗博物館が、検閲のない軍事郵便は、全国的に例が無いとしてマイクロフィルムへの保存を行なっています。
藤根地区はこの貴重な資料の保存・活用を図り、農民兵士の実状を後世に伝えようと1998(平成10)年に平和記念館建設検討委員会を発足し、市の支援を得て開館に至りました。
戦争を体験した人たちの、真実の記憶を後世に伝える返礼品です と語ってくれたのは、北上平和祈念展示館 前館長・ボランティア学芸員 高橋さん。
この7000通の軍事郵便の内容を見ると、戦時中の検閲の厳しさを考えると到底届かなかったものでしょう。
故高橋峯次郎先生宛に送った手紙はだったからこそ、届けられたのだと思います。
手紙からは戦争の苦しさ、惨めさ、悲しさが真実として書かれており、当時の新聞報道とは違う内容がほとんどです。
中国国内での酷い状況(女・子供が無残にも殺されている様子など)も書かれており、戦争で勝った国、負けた国ではこんなにも扱われ方が違うものかという内容も記載されています。
山西省では厳しい戦争の様子が書かれていて、一小隊200名~300名が全滅した様子などは、当時の新聞には出てこなかった真実です。
国民の士気が下がるという理由でしょう。
医師の話として、毎日腕の切断、足の切断、内臓の手術など麻酔無しで行い、1時間で10人以上の負傷者をみなければならず、気付けば自分の手がグローブの様に腫れていたそうです。
その位、痛みに悶え苦しむ相手を押さえつけて動かない様にして、心を鬼にしていた証拠でしょう。
近年、戦争の真実を伝える事が難しくなってきました。
この展示館の価値は、真実を伝え、同じことを繰り返さないというメッセージを次の世代に伝える事です。
岩手県内の小学6年生の「戦争から平和へ」という教材として、バスで見学にやってきます。
その時には3名体制で対応し60分~90分見学しますが、実際の軍服を着る、小銃を持つ、担ぐなど実際に体で感じる実体験を中心に、感性に届くよう伝えています。
小学校の中には見学後に担任の先生が脚本を書き、学習発表会の中で演劇として子供たちが演じている所があり、見学した保護者が皆涙を流して感動したという言葉も多く届いています。
展示物は各家庭の納屋などでご家族が大切に保管されていたものを寄贈いただい実物ですが、小学生が触って体感できること事体、希少であると思います。
ただ、展示物が古くなり劣化が進んでいるので、どのように保管して行ったらよいのかという課題があります。
それらを丁寧に保管維持していくための設備などに、皆様からいただいたご寄附が使えればと思っています。
手紙に記された若き農民兵士の声の一部を聞いてください 北上平和記念展示館に寄贈されている若き農民兵士たちの手紙の一部をご紹介します。
先生其の後御変りありませんか入隊したらすぐ出そうと思ったがとうとう今まで延びました悪しからずお許し下さい。
僕もお陰様で軍服を着る事ができました。
僕の今の胸は感激一杯で何を書いて良いか、わかりません。
入隊記念として居きますのは、僕等の入隊試験の時、地震の震った事です。
先生青年学校に幾ら多忙 でも全部、出席させる様お願致します。
軍隊に入っても青年学校の出た者はすぐ、わかります 僕も軍隊生活に大分なれた。
では銃後の皆様元気で働き下さい 弘前市岡戸部隊八木橋部隊渡辺隊 第四内務班 及川敬四郎 前略 眞友正に受領しました 先生の苦心の程 伺われます 稲 作の実も上々の様子 百姓の息子は矢張り田畠のことが頭から離れません 北満はもう初秋の候です 草むらには虫の連中が 管弦楽の練習をして居ります 僕 のラッパより遙か上手ですよ。
農閑期ともなれば出稼ぎの者も多くなる。
ロットル連には本当に御苦労の様ですね。
役場の吏員に 柳井○一、菅沼英男君が就任 したそうですね。
多田君は其の後容体はどうなったかしらとりあへず御礼まで 満州国 第五二四四部隊嶋谷隊 小原康志 拝啓 時下 酷寒の折から一筆申しあげます 先日は新眞友が着きました 誠に有難う存じます 新しい入年を迎へ楽しく喜ばしく元気で軍務に戦って居りました 私 に眞友が戴けまして飛び上がる程 喜びました 消燈後一人で読んで居りますと戦友達が寄り集まって来て おい高橋君だ大分状況の良いのが来たぢゃないかと 顔を寄せ、三回程読みかへし皆んなで感謝しました 私は寝てから故国の方を 其して村の生活をはっきりと見る事が出来ました 年老いた会長殿には 我々 に対しては 神ともたとへ様・・・・感謝に堪えません 私は今後も一層努力致す覚悟です 御安心下さい 我等の・・・・尚村の青年を良く指導して下さい 眞友を見ますれば俺達の後次(跡継ぎ)が多さん(沢山)います 私しとて北満の地で村の青年諸君等に銃後の皆さんの御健康と武運長久を祈ります 尚眞友を 次号も一日も早くお願い致します 私しは元気な便りよりも眞友を待って居ります では酷寒の折り柄 御身大切に 敬具 牡丹江省東寧件東緩軍事郵便所気付 満協第七七七部隊伊藤隊 高橋勘次郎 只今 嫩江(どんこう)を発し○○に向かひます 愈々 時期到 来致しました 日頃待望の的で男子の本懐です 十分思ふ存分に働きますからご安心下さい 最新の場所、新聞ラジオ等にてご存知の花型(花形)役者です で はお身体を大事になさいませ 皆様によろしく申して下さい 今後は通信出来得ない戦況下と存じます 思召下さい 先ずは急ぎお知らせまで 満州 宮沢部隊 高橋徳三郎 先生、私勝見はどがんといきます。
下志津陸軍飛行部隊前橋派遣隊 高橋勝見 受領書・ワンストップ特例のお届けについて ページ下部「お買い物ガイド」に記載してございますので、そちらをご覧下さい。